2016年3月に検察が一旦「不起訴(嫌疑不十分)」処分としたことから、ご遺族は民事裁判により真相の一端を明らかにしようとしています。(京都新聞記事...)
以下の文は、その第一回弁論で、あもう君のお父さんが発言された内容です。許可を得て記載します。
2016年9月15日
私たちの思い
父 母 姉
初めに、今回私たちに発言の場を与えていただいた裁判官の皆様に感謝申し上げます。
私たちの愛息天翔は、結婚12年目にして授かった子で、その可愛さはひとしおでした。天翔と言えば笑顔というイメージが、私たちだけでなく皆さんからも言われている天翔の象徴でした。いつも笑顔で、いつも笑っている子で、心優しく、聞き分けも良く、病気なども無く、親の手を煩わせない親孝行な子でした。
天翔には大好きなものが2つありました。一つは車が大好きで、ミニカーで一日中遊んでいました。お誕生日に私たちがこの日ばかりはと、色んなプレゼントを考えてもトミカが良いと言い、それならば好きなだけ選んで良いと言っても、天翔は一つで良いという子でした。
車に乗って出かけることも大好きな子でした。天翔とのドライブは大切な思い出です。いっぱい車で連れて行ってあげれず、天翔ごめんなさい。
本当に心優しく育っていて将来が楽しみでした。親なら誰しもが想像する我が子の未来を思っては、あたり前に来るであろう未来の時間を噛み締め幸せを感じておりました。子供が育っていく姿を想像することで生きる喜びを感じていました。
しかしながら、2年前のあの日を境に私たちの人生は大きく変わってしまいました。あの集中治療室での姿は目に焼き付いて今なお胸が苦しく、心が壊れそうになります。天翔は懸命に頑張ってくれましたが、1度も目を覚ますことも無く、話すこともできず、一人で旅立って行きました。この絶望と苦しさは言葉では説明できません。なぜ天翔がわずか4歳で天国に召されなければならなかったのか? あの日何が起こったのか? なぜ私の命と引き換えにしてくれなかったのか? 自分の無力さに自分を恨みます。
そして天翔が何よりも1番大好きだったのは、母親です。何をするにも、どこに行くのも母親と一緒の子でした。ママが居なくて天翔は大丈夫なのか? きっと寂しくて不安で堪らないと思います。でも大好きなママが毎日涙する姿を見ていたら、もっと悲しくなるでしょう。
もう元には戻れないことは理解していますが、どうか私たちの止まった時間が少しでも、ゆっくりでも進むことができるように、誠実な場にしては頂けないでしょうか? これ以上苦しくなることは耐えられません。
この裁判は4歳の子供の命の尊厳と重さを、私たち大人が損得や勝ち負けではなく、自身の身に置き換え、真剣に考え、目の前の子供達が将来大人になった時に、あの時大人たちが誠実に正しい判断をしてくれたことで、今私たちの子供の命が守られていると言ってもらえるためにも、人間として1番大切なものを問われる場であることを、皆さんの良心のもとに今一度考えて頂き、誠実に行われることを切に願います。